Peter Grütter

ベルン出身のペイター・グルッター氏は1950年代、60年代と数多くの国際大会でスイス代表として活躍しました。1964年のインスブルック五輪を最後に現役を引退した彼は、銀行員としての自らキャリアに疑問を抱き、その翌年スケートのコーチに転身しました。ヴァレー地方の街モンタナでの10年を経てジュネーブに移ったグルッター氏は、1976年以降、多くの優秀な選手を育成し、恩師ジャック・ガーシュヴィーラー氏のもとで吸収したことを若い選手へ伝授してきました。グルッター氏は1981年より毎年ヨーロッパ選手権に参加し、各大会で最低でも1人、時には複数の選手をリンクへ送り出してきました。

そして1995年、彼の前へ一人の少年が現れました。片道2時間かけてのリンク通いに音をあげないこの少年に大きな可能性が秘められているのをグルッター氏は見抜き、彼の才能を開花させるため献身しようと決意します。グルッター氏は国内の小さな試合から大きな国際大会まで、常にステファンに同行してきました。師のアドバイスを背にステファンが残してきた栄光の数々は枚挙にいとまがありません。

Salomé Brunner

カデット(ノービス)の頃はペアで、またジュニア時代にはシングルで国内チャンピオンに輝いたサロメ・ブルナー氏は、後にアイスダンスに魅力を感じ競技に打ち込むようになりました。マーカス・メルツと組んで1984年の世界選手権にスイス代表として出場し、その後プロに転向した彼女は、ジェーン・トービルとクリストファー・ディーンが主宰する「ワールドツアー」や「ホリデイ・オン・アイス」で活躍しました。スケーターとしての活動と並行してダンスセミナーに参加するなど、指導者への道も視野に入れていた彼女は、スケーター引退後、振付師としての活動を始めます。15年間に渡りペイター・グルッター氏とともに選手育成に携わってきたほか、ここ10年はステファンの振付師として名声を得てきました。常に冷静で自信みなぎる彼女はステファンにとって守護神のような存在。いつも支えられているステファンはそのお返しに彼女の息子レオの子守を喜んで引き受けます。

Majda & Jean-Sébastien Scharl

ステファンは2004年11月よりフィジカルトレーナーであるジャン=セバスチャン・シャール 、そして彼の妻マシュダ・シャールの指導のもと調整しています。ジャン=セバスチャンはローザンヌ大学スポーツ学部の指導委員会のメンバーで、健康スポーツ研究センターの責任者も務めています。マシュダはスイス・オリンピック認定のコーチです。「スイス・オリンピック」は大きなスポーツ団体で、エリート選手育成プログラムなどを有しています。ステファンの競技へのモチベーションを高め、彼の緊張をほぐすためにはエネルギッシュなマシュダの存在は不可欠で、ステファンが怪我をしないよう、そして万全の状態で競技に臨めるよう、彼女も奮闘しています。「スイスの他のスケーターもジャン=セバスチャン、そしてマイダの最善のサポートを得られたら」というステファンの思いから、現在シャール夫妻はスイスナショナルチームのスケーターたちへもアドバイスを送っています。